母の逝去 -60歳で夢を叶えた母が教えてくれたこと-
闘病を続けていた母が他界
こんにちは、ヒトノワデザインの長坂です。
こちらの記事は、毎週日曜20時に配信しているメルマガで配信したものですが
「勇気をもらった」
「生きていくうえでの価値観を見つけることができました」
「こうありたいと憧れる内容でした」
などのご感想を 読者さまから 驚くほどたくさん頂きましたので
こちらにも転載いたします。
母の生き方から教わったこと
4年間闘病を続けていた母が
先日 他界しました。
思えば 母の背中から学んだことは数多く
私だけのものにしているのは勿体無いような気がしてきたので
少しだけ、ここに記させていただきます。
母は本当にバイタリティ溢れる人で、
52歳の時に「自分の飲食店を開きたい」と言い出し
免許を取るために、すぐ調理師学校に通い始めました。
わたしより若い10代の子達に混ざって授業を受けていましたので
「気まずかったりしないのかな?」という私の心配をよそに
しっかり友だちも作っていて
「学校の子達と飲み会行ってくるね」と、
プライベートな付き合いまでしているような母でした。
(あだ名は「お母さん」でした 笑)
飲食店勤務経験もゼロだったので
(自宅でオルガン&ピアノ講師起業→病院勤務→調理師の道へ!なんて自由な経歴!)
卒業後は、
調理実務やお店の回し方を身につけるために
飲食店バイトをはじめました。
その飲食店でも
「お店のオープンが夢!」を最初から公言していたので
料理長からレシピを教えてもらったり
いよいよ自分のお店をオープンさせる時には手伝いに来てもらったり
一緒にメニューを考えてもらったりしていました。
そんな母の背中から
人は何歳からでも、何度でも挑戦できるんだ
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やりたい仕事があるなら、
いくつやってみたっていいんだ
など、本当に多くのことを学び取ったのは
言うまでもありません。
葬儀で知った 母の偉大さ
葬儀には母の友人がたくさん来てくださったのですが
皆さま、口々に母への感謝の言葉をおっしゃっていて驚きました。
「一番辛い時、◯◯さん(母)が一緒に泣いて支えてくれました」
「◯◯さんがいたおかげで私の人生は幸せでした」
「落ち込んでいた時、何時間でも電話で話を聴いてくれました」
母が飲食店をしていた時のお客様もお越しいただき
「このメニュー美味しいわねと言うと、いつもレシピを教えてくれたんです。
教えちゃったら商売にならないのにね」
こう言って涙を流しながら
もう動かない母の代わりに
わたしの手を取って、何度も感謝を伝えてくださいました。
母は仕事などで大きな実績を残した
「いわゆる成功者」ではないけれど
いつだって人に寄り添い、お節介なくらいの心配性で
困った時や悲しいことがあれば一緒に泣いて、
手の届く限り、誰かの人生をしあわせに、
あたたかく照らしている偉大な人でした。
当たり前のことではありますが
お仕事ですごい結果を出しているとか
売上をあげているとか
そういう実績や数値では測れない
人の価値・偉大さがありますよね。
どういう風に生きたいかは
自分で決められる。
追いつける気はしませんが
これからも生涯、母の背中を追っていきたいと思います。
2022.12